youtubeの方に、コメント頂いたので、その関連記事を書きました。
結構古い動画ですが…。

 

教科には、主に算数(数学)、国語、英語、社会、理科の5科目に分かれ、

中学生以上になると、その教科が細分化され、更に詳しくなっていきます。

勉強をする生徒側にとっては、自分の得意・不得意教科によって、点数の伸び方も違えば、

勉強の仕方も違うでしょう。

 

しかし、教える側になると全く別の観点から見ていかなければなりません。

私は各教科の難度として、挙げるのならば

「発問箇所の難しさである」と

私は捉えています。

 

ただ、勘違いして欲しくないのが、全ての教科を完璧に極める段階になると、

全ての教科が難しいので差は出ないという風には思います。

私が伝えたいのは、あくまである程度のレベルまでの話です。

 

まず各教科の中で、算数(数学)は授業難度としては、他の教科の中では比較的平易です。

というのは、答えが決まっているプロセスを伝えるのが、主な役割ですが、

ある程度、講師が主導権を握っていけるところが難度として低い理由の一つです。

 

 

しかも、生徒自身が動きやすい教科でもあります。

パズル感覚でいけるので、解説自体が上手ければ

素晴らしい授業になると思います。

 

社会・理科に関しても、答えが決まっているプロセスから逆算の授業になっていきます。

ただ算数(数学)に比べ、暗記要素が強く、

授業としては制限時間内に、どこを絞って発問を考えるかが

鍵です。

 

社会であれば、用語をその時間内にある程度記憶+理解を含む授業を行わなければなりません。

ただ、知識のひけらかし授業では、無駄な授業になるので、

理解を含む授業の時間内では、自分で勉強したらつまづくポイント、

教科書からは理解できない背景が中心になります。


 

 

しかし、ここだけに集中してはいけません。

生徒に単語を残してやるという作業も必要ですので、そこを

上手く裁くということですね。

 

英語は難しいです。ただ、ネイティブの力を持っている人にとっては、授業自体が輝きます。

つまり、本物を伝えられるので、それだけで価値があります。

 

 

普通の人(私もそうです)の場合はどうするかというと、理解レベルを落とさないとダメです。

これは担当クラスによっても違うんですが…。

 

例えば…「私にとって、英語を話す事は難しい」という基礎文型ありますよね。

It is difficult for me to speak Englishが解答ですが、こういった場合、

ほとんどが誘導発問になりやすいんで、

相当気を付けなければなりません。

 

英語を話すことだよ~とか言って、誘導していませんか?

生徒側が「あっ分かった!」といって、不定詞の形を思い出すみたいな。

 

これはダメな授業の典型例です。

 

実際の入試会場でそれ出来るんですかって話になります。自分で気づかせてやる。

本当にその日本語から、その子は類推できなかったのか。

「私」も「英語」も「話す」も「難しい」という単語も分からなかったのかと。

 

 

残った日本語は、「事」になるに決まっています。

そうなれば、そこで考えさせる。今まで習ったもので、それに対応したものはなかったのかと。

 

 

 

…で脱線してしまったんですが、最後に国語にいきます。

これは最強に難しい。なぜか。

発問箇所が無限に考えられ、しかも切り出し方も無限にあり、

舵取りを間違えると、あさっての方向に

向かってしまう。とてもデリケートな教科です。

 

ほとんどが、誘導発問になりやすいので、国語をなめている人が多いです。

国語の授業の基本は、喋らない授業が基本です。

極力喋らない。でも喋らなければ、授業が成立しない。

 

だから、究極的に突き詰めた発問を一つする。

授業が動く。舵取りをする。それで核にいく。

理想ですね~こんなの。でもそんなの無理です。

 

この人物はこういう人間だから、この心情はこうこうこうなるとか、終わっている授業です。

ただの解説です。これでは。

 

 

生徒は、自分がその教科の得点を伸ばすために来ているんですよ。

そこで、自分が自立できるように促すのが、私たちの使命なんです。

先生がいなくても、テストの時に自分で考えて、受験の時に自分で戦って。

 

何でも社会の場ではそうですよ。

自分で結局は、切り開かないといけない。

受験が舞台であれば、その切り開く力を養成する機関、それが「塾」の役割なんですね。

是非、ご自分の授業を研究してみてくださいね。